
倒産回避:事例集 夜の7時も回ってそろそろ事務所を閉めようかと思っていたところにその電話は掛かってきた。
「こんな時間によろしいですか?」 弱々しくて暗い声だった 私が経営建て直しの講師として呼ばれた地方のセミナーで話を聞いたと言う。 10日ほど先の月末の手形が落とせないと言うことであった。 |
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とりあえず手元に有る決算書類、直近試算表、借入金一覧、資金繰り表などを持参して明朝、事務所に来てもらうことにした。
翌朝、時間どうり現れた社長は電話の声とは裏腹に大きな男であった。ただ声は小さく、慢性的な資金繰り難のためか顔色もくすんでいた。 創業者から4代目という東北の観光地で県の工事を中心に長い間実績を誇ってきた土木会社だった。バブル以前は年商50億円、百数十人の従業員を抱えて順調な業績で推移していた。 バブル崩壊の3年前、その当時は先代の社長が土木会社のほかに旅館も経営していた。土木は長期間資金が寝ることが多いということで現金収入が見込める旅館業はそれなりに経営を助けていたようであったが、ホテルニュージャパンの火事による大惨事の後から、消防法等の規制の強化で旧式の旅館は廃業するか立て替えるかの決断を迫られることになる。 当時常務だった川野社長は父である先代社長に強く廃業を進言したということだが、銀行の強い勧めもあってホテルとして立て替えることになった。当時ホテルの現実のやりくりは先代社長の奥さんが取り仕切っていたので有るが、人柄と、料理のよさ、古くからの固定した修学旅行などのお客さんと行った客層と、新しいホテル経営はうまくマッチングしたわけではなかった。 当時の建替えに要した10億円の借入がバブル後の、土木会社本体の経営にまで暗い影を及ぼすようになってきた。 その後の土木会社を巡る業績の落ち込みは惨憺たるもので、特にここ数年は、先行きの予測がつきかねるような事態である。 当然十年前に先代から社長を継いだ川野社長も、リストラに継ぐリストラでなんとか生き残ってきたが、売上も社長を継いだころには12億円、現在ではその半分の6億円にまで落ち込んでしまった。 当然、10億円の返済も残債8億円を残して7年前から元金利息とも棚上げ、年間に1000〜2000万円を入れるだけの状態になっている。 幸い資産家の取引先の社長が1億5千万円ほどの援助をしてくれて、かろうじて倒産を免れていると言う状態である。
この資産家の社長と、川野組との取引銀行が同一であるのが幸いして今日まで銀行も強硬手段を差し控えているといった状態である。 |
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